ここ数年、インキュベイトファンドは、北米やアジアの機関投資家との関係構築を続けてきました。それが一つの形になってきたことが嬉しいです。

今回投資をしてくれた、アジアのファンドオブファンズ、北米の大学基金含め、殆どの海外機関投資家は、今回が日本のベンチャーキャピタルに投資するのが初めて。

彼らはファンドへの投資だけでなく、日本のスタートアップへの直接投資にも非常に興味を持ってくれています。国内からの投資家は、ほぼ全て既存投資家からのリピートとなりました。

メディアの方々にも説明しましたが、ここ数年海外の機関投資家と対話をしてきてわかってきたことが、いくつかあります。

一つは、マクロデータ、パフォーマンスデータ等のデータ開示や説明の不足

海外の機関投資家と話をすると、そもそも日本のVCやスタートアップについて知らない人が殆ど。これはアジアでも北米でも同じです。日本のベンチャーキャピタルで海外の機関投資家にきちんとアプローチをしてきたところは少ない。

それも当然の話で、今まで日本のVCは日本の機関投資家はもちろん、海外の投資家とコミュニケーションする場はなかったし、お互いその必要はなかったのが実情だったと思います。

しかしながら、この数年グローバルで未上場のテックセクターへの期待値やリターンが高まったことで、日本のベンチャーキャピタルやスタートアップに対して可能性を感じる投資家も出てきています。マクロデータ、パフォーマンスデータ、投資仮説を丁寧に説明することで、理解を得られるケースが出てきました。

二つ目は、アジアのテック投資の中で、中国への投資一辺倒からの見直し。その中での、日本のテクノロジーセクターの再発見。

この数年の米中の対立等の地政学的な要因に加えて、中国へのテック投資への全体的な見直しが始まっていること。そして、この数ヶ月での中国のIT企業に対する各種政策によるスローダウン。

成長するアジアのスタートアップやベンチャーキャピタルに投資したいと考えた場合、従来中国のテックセクター一辺倒で投資していた資金の一部が、その他のアジアにながれてきています。

このような流れの中で、日本のテックのスタートアップやベンチャーキャピタルへの投資の魅力、宇宙や医療・エンタメ等、多様なテクノロジーの可能性、B2B/SaaSの可能性、東証のIPOのコンスタントなリターン環境等、きちんとコミュニケーションてきた中での今のタイミング。

この2021年上半期のコロナ環境下、従来、約30–40倍開いていた北米と日本のVC投資額の差は更に拡大し、北米では2021年だけで既に130社近いユニコーンが生まれています。上半期だけで15兆円の資金が投じられています。

この活動は続けたい。世界の投資家に日本のテックセクターやスタートアップの魅力をもっと伝えていきながら、国内外の資金を日本のテック・スタートアップにどんどん流し込みたいです。

*Bridge

*日経

*Prtimes

雨の終戦記念日。戦後76年。日本人として色々と思いを馳せる日ですね。世界の中の日本。これからの76年はどうなっていくのでしょうか。

今回Gumi社への初回投資から13年ぶりに、VRで今度こそ世界を狙う、Thirdverse社の國光さんと素晴らしいチームとのゼロからの再挑戦。

2008年に出会った時からと変わらず、イーロンマスクを超える(ここはジャックドーシー、ザッカーバーグに置換可能)、世界を獲る、と言い続けています。

今度の会社は兆円規模の会社になるようですが、Teslaの時価総額だけでも70兆円を超えてきていますので、世界を獲るには兆円では足りないかもしれません。

しかし、そういうことを公言できる人は貴重ですし、尊敬します。いつも何か期待させてくれる、皆に愛される、素晴らしい起業家・経営者です。

当時の対談では、上場を目前に控えたGumi社が、まさにスマフォゲームで世界を狙いにいくぞ、というタイミングでした。日本のモバイルゲーム業界は、各社世界市場に展開しようと非常に活況で、今でも当時のアドレナリンがでまくった雰囲気は忘れられません。

ブラウザからスマフォへの移行を各社積極的に進め、オリジナルのゲームシステムの開発、それを世界市場にどう展開するか。いろんなチャレンジを行いました。しかしながら、全てが想定通りにいった訳ではありません。学びの多い時代でした。

同時にこの8年、世界の動きを見ると、GAFAMを中心としたアメリカのテックの力、Alibaba・Tencentを中心とした中国のテックの力。この2大スーパーパワーが更に巨大化。資本市場ではもう異次元の規模とパワーを持つようになりました。

2007年か8年に日本のGDPは、中国に抜かれて世界3位になりましたが、その後の中国のテックの成長はその差を更に広げる大きなドライバーになっています。

インドや東南アジアのスタートアップやVCのエコシステムも、2013年当時はまさに立ち上がりの時期でしたが、今は不安定さや未熟さは消え、ローカルの資本市場も整備中。今は米中に続くテックの第三極として大きな存在感と爆発前夜な雰囲気を醸し出しています。

日本は、安定的な社会と技術のベース、機動的な資本市場を持つ日本のテックへの投資、日本のスタートアップは大きな可能性を残していると思います。国内外の機関投資家とも話をしますが、この辺りは彼らの期待値も高いです。

今回の対談は、面白おかしくやらせて頂きながらも、どうしたら日本からWow!というもの、日本って凄い!をテックやスタートアップで起こせるのか。そんなことを3部作で國光さんと話しています。明確な答えは見つかっていません。

記事にもありますが、大谷翔平さん、そして今回の東京オリンピックの選手の方を見ても、日本には個が強い人が沢山います。

金メダリストをこんなに沢山輩出する国なら、もっともっとモンスター級の起業家や経営者がこれから出てくる期待は常にありますし、どんなキッカケで生まれるのか、考えてしまいます。

Bridgeの平野さんには、8年後、2029年の3部作対談の3回目を既に依頼しています。どういった勝負が2029年までに出来ているのか。國光さんとの挑戦を徹底支援して何かを遺したいし、またその時の答え合わせが楽しみです。

①オールインでも届かなかった世界戦/Thirdverse 國光×本間対談(1/3)

②世界と戦うチーム/Thirdverse 國光×本間対談(2/3)

③モンスター起業家を育てる/Thirdverse 國光×本間対談(3/3)

前回3部作も貼っておきます。

東京オリンピックロスで少し感傷的な休日。若かりし時の自分とある起業家との長い道のりを振り返ってみる。

インキュベイトファンドを創業する前に、コアピープルというマイクロVCファンドを作り、サラリーマンを辞めて独立した。もう14年前。

そこで投資していた会社、ブリリアンス+という、ダイヤモンドジュエリーのEコマースの運営をやっている会社の話。ここも、gumi、ポケラボ、みんなのウェディング社同様、独立開業して間もなかった、私の投資家としてのキャリアを作ってくれた1社である。

投資したのはリーマンショックが起きた2008年。CEOの新井さんは当時42、3歳で、ダイヤモンドジュエリーの事業のプロではあったが初めてネットベンチャーを作る、というおじさん起業家だった。

結婚指輪を中心としたダイヤモンドジュエリーのEC、工場や卸からダイヤモンドジュエリーを仕入れて直接販売するEコマース事業へ投資した。

今で言えばD2Cスタートアップであろうが、当時はリーマンショックがあった年。Eコマースの市場自体は確立していたが、既にAmazonや楽天といったプレイヤに収斂され、マージンが低く、参入も難しい、ということで、非常に厳しい業界という認識だった。

Eコマース各社の株価も最も冴えない時期ではあったと思う。今1兆円を超える時価総額を超える、MonotaRO社やGMOペイメントゲートウェイ社も、当時両社とも時価総額は100億円を切っていた。

そんななか、なぜ投資をしたのか。これはMonotaRo社の成功から得た経験が生きている。

それは、事業構造としては、流通構造が多層で複雑である業界、そして小さい業者が無数にあって皆儲かる業界は、スタートアップが効率化を図りながら大きく成長するには良い市場だという考え方。

自分のセンスのなさ故に、不覚にも投資する機会を何度も逸してしまったラクスル社もその形に近いように思う。

投資してから13年経って、今回ブリリアンス+が買収されて事業会社の傘下にはいることになった。早速お祝いの宴。

それぞれ50代半ば、40代半ばをすぎ、お互い年齢をとったな〜という実感。そして、EC事業は本当に一夜にして成功しない、ということ。Eコマース含めて、リアルのビジネスの変革には予想の3倍時間がかかる。

しかし当時の事業仮説は間違っていなかった。当時議論し尽くした業界構造改革は、静かに着実にこの10で年進んでいる。

13年も経つと色んなことが起きる。新井さんを私に紹介してくれ一緒に支援していた、私のJAFCOの同期の木村は不幸にも他界してしまった。

当時のCTOだった和田さんは、東日本大震災の後、地元の福島県の南相馬市に戻り、地域復興を推進する会社、小高ワーカーズベース社を立ち上げ、災害復興のモデルケースを次々と作り出している、第一人者になっている。今回の買収は、JAFCOの後輩の猿川さんが仕切ってくれた。

自分の起業家やベンチャー投資家としての原点、ゼロから何かを起こそうという起業家の想いに寄り添い支援できる、ということの意味合いや時間の深みを、大いに振り返ることができた出会いであった。

オリンピック開催まで30日を切りました。ようやく開催が決まったようであり、無観客でなく、どこまで観客を入れるのか、というに入ってきた。この2〜3週間で急速に開催に向けて動き出した感じがしている。だけど、この間までは、オリンピックをやるのかやらないのか、一般社会感覚では、わからない感じに見えた。結局、何が理由かわからないが、急速に開催に動いたことや、結果、誰がどのようなプロセスで意思決定したのかわからない、ということが不思議な感じがする。なぜ開催するかしないか、という大方針が前もって決まらないのか。このような形で大方針がギリギリに決まると、選手ももちろんのこと、準備する方も大変すぎるのではないだろうか。

本当に大きな意思決定が、自分たちの考え方や方針で決まるのではなく、今回はIOCなのか、スポンサーなのか、選挙なのか、世論なのか、主体がわかりにくく、空気的なものか、自分主体ではなく相手のリアクション次第で事象の方向が決まってしまう流れ。最後のピースがどの方向にハマるのか、皆ギリギリまで分からず、相手の出方によって、そのピースのはまる角度で方向が決まってしまうことが起きているような気がする。

もちろん、色々な利害関係者がいれば、調整に時間がかかるのは当たり前であるので、重要な意思決定は、各所調整が必要。例えば、医療崩壊の防止と経済を回すことや、オリンピックを行うというのは、相反する目的なのだから、それを調整するのに時間がかかるのは当たり前ではある。しかしながら、このコロナの緊急事態の中、日本以外で開催されたとしたら、開催するか開催しないか、もっと早く意思決定できた国は多かったのではないだろうか。

日本社会の特質に起因するような気もしていて、日本で過去に、大事な意思決定がギリギリまで保留されたことがあったのか考えてみると、過去、日中戦争やアメリカへの開戦の経緯を見ても、かなりギリギリまで決まらなかった経緯があったように思う。

少し前に、Amazon Primeで昔の映画 “激動の昭和史 軍閥”(古いw)を観る機会があった。

1970年、戦後35年経ってからの映画である。戦後を冷静に振り返ることができる時期にできた映画であろう。ここでは、昭和初期から太平洋戦争に至るまで、陸軍、海軍、外務大臣、内閣総理大臣が、それぞれの立場で意見を主張する様子がビビッドに描かれている。

その様子から見て取れるのは、今の日本で同じことが起きそうだなあ、と感じざるを得ない、陸海軍、政府要人の各組織のトップ同志の会議の様子、やりとりです。

米国へ開戦するか否か、という国家を揺るがす大きな意思決定が、本当にギリギリまで決まらない。1940年1月 日米通商航海条約失効後、1941年8月のアメリカの石油輸出全面禁止に至ります。それから、海軍が本気で勝つ気があると言ってくれるなら、ギリギリで日米首脳会談が成立したら、米国の回答がいつ迄に出たら、と、1941年の10月になっても、11月末日になっても、決まりません。そして12月8日の開戦に突入します。映画を見る限り(本当にそうであったなら)、陸海軍、政府要人の意思決定当事者は、11月の末日でも最後の最後まで戦争をやるかやらないか、どっちに転ぶかわからなかったように見えます。

こじつけて考えるのいけないとは思いながらも、今回のオリンピックがいよいよ開催される、という決定が、IOCが、スポンサーが、医療体制崩壊が、と難しい調整が迫られる中ではあるものの、このようにギリギリで、調整と世論、空気感で決まったようではなく、国として、主催国として、前もって、こういう考え方だからこういう形で開催しますよ、スポンサーへの賠償責任もあるかもしれなせんが、このコロナという未曾有の世界的危機なので、延期や中止をさせてもらいたい、と主催国として言えたら、もっと誇りを持てたのだろうと思います。哲学を持った社会でありたいですね。

内閣府による、”プロジェクト T 報告書 ~「デジタル化」の掛け声だけで、日本の危機は解決しない。 日本の組織を開放し、若者の抜擢と挑戦”

日本のベンチャー業界について調べ物をしてていたところ、プロジェクトTなる報告書を発見。コロナ禍、昨年の10月に発表されています。ジャーナリストの田原 総一朗さん、西村 康稔 経済再生担当大臣、若手政治家、財界 …

先日、インキュベイトファンドで、Incubate Academyという、大学生向けに、5日間でベンチャーキャピタルという職業を学んでもらうセッションを行った。

その際に、改めて、シリコンバレーのベンチャーキャピタル業界の歴史を改めて調べていたところ、シリコンバレーの歴史について、非常にわかりやすく、当事者も多数登場する、良いドキュメンタリーを見つけたの紹介したいと思います。

今はNetflixをはじめ、良質なドキュメンタリー映画がどんどん産まれる時代。WVTCHというチャンネルの、”Silicon Valley documentary”エピソード1と3。起業家やベンチャーキャピタリスト、それを目指す人はぜひ見てほしい。当事者がリアルで出てくるので臨場感があります。

Silicon Valley documentary EP1

*軍事・冷戦時代とStanford大学の工学・宇宙工学の発展

10分あたり。のちにシリコンバレーの父と言われるStanford大学のFred Terman教授。当時、MITやCaltechに比べるとStanford大学は政府からの資金補助も少なく、研究面で著しく遅れていた。Terman教授は、軍事関連の研究を受けながら、Standford大学の工学・宇宙工学を強化した。Terman教授は、大学での研究を大学の内部で閉じず、世の中の為にドンドン使いなさい、という方針を打ち出し、多くのベンチャー企業が産まれた。1938年に彼の教え子(Bill HewlettとDavid Packard)が作った会社の一つが、Hewlett Packard社である。当時のアメリカの世の中のため、というのは、第二次世界大戦に勝つ、ソビエトとの冷戦に勝つ、ということだった。

Willian Shockleyがシリコンバレーの移住とFairchild Semiconductorの誕生

16分あたり。トランジスタの産みの親で、ノーベル物理賞受賞者のWilliam Shockleyが、母親の住む西海岸に引っ越したことから、軍事中心・真空管での電気・電子技術中心だった今のシリコンバレー地域が、1960年代以降、文字通りの”シリコン”バレーになっていく。

その後のShockley研究所(1956年)→Fairchild Semiconductor(1957年)→Intel(1968年)→有力ベンチャーキャピタルのKPCBやSequoia Capital(1972年)の創業、と同じところで働いていたキーマンが続々と作り出す会社群が、その後のアメリカのテクノロジー業界に、いかに大きな影響を与えたを考えると、いかに彼個人の西海岸への引っ越しが、そして一人の人間の才能が、ここまで社会に大きな影響を作れるかに驚かされる。

18分あたり、Intelを創業し、”ムーアの法則”を提唱するGordon Mooreも生で登場します。FairchildとIntelの設立に関わり、Appleへの創業の投資も行い、のちにベンチャーキャピタルの父と言われる、Arthur Rockも登場。両氏ともに、今は90歳を超えています。Intelの会長を長く勤め、AppleのSteve Jobsの解任時の役員でもあったRock氏。初期のテクノロジー会社に投資し、経営支援を行う、という、今のハンズオンのベンチャーキャピタルスタイルは、彼が産み出したと言われています。

シリコンバレーの多様性への変化

23分あたり。今のシリコンバレーの男性偏重、実力主義の競争文化と当時の女性起業家の話。会えば、スコッチのテイスティング、一緒にゴルフをする、という当時の男性同士のカルチャー。何人か女性起業家や投資家もインタビューに答えていますが、男性偏重のシリコンバレーの文化は、今でも大きく変化していないのだそう。

一方で、”Vision of Progress”を信じて、世界から集まる移民を受け入れるカルチャー。ここはどんどん進んでいる。YahooのJerry Yan氏、GoogleのSergey Brin、TeslaのElon Mask等、多くの起業家がアメリカ外のルーツを持つ。

大学発ベンチャーのお手本となるGoogleの創業ストーリー

36分あたり、Sergey BrinとLarry PageのStanfordの担当教授である、David Cheritonが、 かつて大学の博士課程に在籍経験のあるAndy Bechtolsheim を紹介。彼はその後Sun Micro Systemsを創業して成功していた。

初回のミーティングは30分もなかったが、David教授の自宅で行われた、Googleの初期デモを見て、Andy Bechtolsheimは、これはマネーメイキングマシーンである、と予感し、US$10万ドルのチェックを切ったと話している。

この一連の流れを見て思うことは、David教授が一番に紹介したのが、既にSun Microで起業家で成功していた、Andy Bechtolsheimだったということ。このような成功者が同じ大学の博士課程を出ていて、教授と近い関係であることが、Stanford、シリコンバレーの土壌の強さだと感じる。

Silicon Valley documentary EP3

パソコンの誕生。XeroxのPARC研究所のイノベーションのジレンマとApple社の誕生

11分あたり。1973年XeroxのPARC研究所がAltoを完成させる。現在のパソコンの原型となる、ビットマップ、ポインティングデバイス、レーザプリンティング、イーサネット。これら全て既にコンセプトが既に今から50年近く前に完成していた。しかし、コピー機の販売で絶好調であったXeroxはAltoの事業化には積極的でありませんでした。その後、当時20前半の若者、Apple Computerを創業したばかりのSteve Jobs氏は、1979年にPARC研究所でAltoのデモを見て興奮し、大ヒットとなるApple2の開発につながったと言われています。

シリコンバレーという場所について

41分あたり。Sun Microの共同創業者であり、Khosla Ventureの創業者でもある、Vinod Khoslaは、次のように言っています。

”1000のうち、990が取るに足らない失敗に終わる。しかし、10が残り、永続的に残るグローバルなインパクトになる”

Twitch(Justin.TV)の創業者で、その後車の自動運転のCruise Automation社(GMが買収し、現在はGMの自動運転の中核会社)を創業した、シリアルアントレプレナーKyle Vogtの言葉。

”どんなに難しい、挑戦的なことでも、ここでは数のゲームなんだ。一人の投資家でも一人の買収者でも、自分のビジョンに共感した人を見つけてYesと言ってもらえればいい。そして、ここはリスクをとって、ビジョンを実現したい人が密集している。こんなところは世界のどこにもない”

シリコンバレー。今このコロナの中、GAFAMを中心とした、米国のテック企業の企業価値は益々大きくなり、グローバルな社会に対する影響力は増すばかりです。それが産まれてきた土地。このドキュメンタリーを見ると、戦前から戦後、冷戦、半導体、インターネットの時代を経て、この土地には、何十年と、人的にも経験的にも脈々とつながっており、その根底に受け継がれてきている思想があると感じます。

反省記―ビル・ゲイツとともに成功をつかんだ僕が、ビジネスの“地獄”で学んだこと-西和彦 を読んでの感想

アスキー社の創業者であり、マイクロソフト社の初期の取締役であった西和彦さんの手記。とにかく面白く、1980年代から2000年代に至るまでの、日本の産業の強さと衰退について考えさせられた。

今、Microsoft社、GAFAMの一角で、ビルゲイツ氏、ポールアレン氏に続く、現在US1,620Bドル(約170兆円)の会社のNo.3のポジションに就いていた日本人が、わずか40年前には存在したことが、今では想像すらできない。その後2000年から2014年までCEOを務めるスティーブバルマー氏より先である。

昭和の絶頂期から終盤、平成まで、日本のエレクトロニクス市場を駆け抜けた、第一人者の経験談は、改めて学びが多かった。

私はITバブルの1990年代後半から、ITのベンチャー投資のキャリアをスタートしていて、その頃はまだ、平成も前半戦。日本ブランドも強く、海外の出張に、SONYのカメラ付きのVAIOのノートPC(PCG-C1)を持っていけば、未来感ありすぎですげー、といった体で、シリコンバレーやイスラエルのスタートアップの起業家が羨ましがってくれた記憶があるし、まだまだノートPCはレッツノートだよね、という風潮だった。

当時の私の仕事は、シリコンバレーの投資のスタートアップ、主に半導体や通信機器、そしてビジネスソフトウェア企業を日本で事業展開するような仕事だった。当時はまだ、日本の市場は、海外の進出先としてはプライオリティが高く、NTTやKDDI、そして富士通、NECといった企業と繋ぐことで、非常に価値を感じてもらえた。しかし、当時は既に、共同で一緒に製品を作るパートナーというよりは、顧客や市場として日本企業の価値になっていたように思う。

しかし、西さんの手記を読むと、1980年、90年代は、もっと日本の大手メーカーは強かった。単にシリコンバレーのスタートアップの顧客としての日本企業ではなく、一緒に共同で製品としてのパソコンの仕様を設計していた。マイクロソフト社が作ったBASICを、20代前半の起業家である西さんが、錚々たる大手の日本のパソコンメーカーと交渉し、一緒にパソコンの設計をしていたのである。

1986年、西さんはMicrosoft社、そしてビルゲイツ氏と袂を別れる。当時の西さんは、まさに日本の高度経済成長の代表者でもある、ソニーの盛田さんや京セラの稲盛さん、そして中山素平さんとも親交があり、その薫陶を受けている。日本発世界のモノ作りのベンチャーの創業者がまだバリバリの現役だった時代。

ビルゲイツ氏との別れの原因の一つは、西さんが理想のパソコンを作るために、半導体を自身で作りたい、といったこともあったようだ。

今のスタートアップ、ベンチャー投資の現状を比較すると、当時、良いパソコンを作るために、半導体から作ろう、という発想を持っていた西さんの構想力、そしてそれをサポートした大手日本企業があった、ということが、35年後の今かなり想像しにくい。

35年前と言わずとも、1990年代後半、20年前に自分がベンチャー投資家のキャリアをスタートしたころには、スタートアップで、ソニーの盛田さんの薫陶を直接受けるような機会は少なく、大手メーカーが20代の起業家と一緒に、シリコンバレーの起業家と一緒に、製品を作る、ような雰囲気は失われていたように思う。その頃の日本の大手企業は既に、共同の開発パートナーというより、シリコンバレーのスタートアップの単なる顧客だった。

1985年から2000年くらいの間に、高度経済成長を引っ張ってきた、大手メーカーの創業社長たちの世代交代があり、プラザ合意があり、バブルが弾け、何か、日本の大手企業に何か変化が起きたのだろうと思う。

ビルゲイツ氏と袂を分かれた後の西さん、そしてアスキー社は、その後の日本の高度成長からバブル期、そして衰退を、象徴するかのようである。

マイクロソフト社の着実な事業の隆盛とは対照的に、その後15年かけて多角化して急拡大。上場まで漕ぎ着けたものの、出版に加えて、半導体や衛生通信を手がけたが、事業や一方会社のコアを作ることができずに、最終的に1997年にCSK社に吸収される。

今、私は日本から次世代のソニー、ホンダを作りたい、と思って、ベンチャー投資家としてここ20年やっているが、2000年以降、自分も直接経験しているインターネット時代と、その前の、西さんが活躍して、アスキー社がMicrosoft社に差をつけられた、そして日本の大手企業が強く、そして羨ましがられた、1985年から2000年までの15年の違い、ここを強く感じざるを得ない。

完全に整理はできないが、西さんの当時の構想力、そしてアスキー・マイクロソフトというベンチャー企業に、賛同した当時の日本の大手メーカーの協力体制。それは今は想像しにくいのは事実で、当時は日本の大手メーカーも今と違った勢いがあったのだろうし、戦後を率いた強い創業社長が健在だった時代だと思うし、それをこれから令和でどう巻き直せるのか、そんなことを考える週末になっています。

グローバルのオルタナティブ投資のデータプラットフォームであるPreqin社から、

PREQIN MARKETS IN FOCUS: ”PRIVATE EQUITY & VENTURE CAPITAL IN JAPAN’S TRANSITIONING ECONOMY”というレポートが出ました。

日本のPEファンドとVCファンドの近況やポテンシャルがカバーされています。

私も、レポートの中で、シリコンバレーやアジアの投資環境との比較の点から、日本のテックセクターのスタートアップ・VCの魅力について、書きました。

1. 世界的に高い評価の基礎研究と研究者の存在
2. 厚みの深い B2B/SaaS 市場
3. 政府主導で進む規制緩和
4. コンスタントなエグジット環境
5. 政治・経済的に安定した社会

実際に、この1年程、日本のテックセクターの投資ファンド、日本のVCファンドとして、海外の機関投資家と話をしてきました。

彼らと話をすると、日本の国内のテックのスタートアップ企業やVCが、こんな成長しているなんて知らなかった、もっと業界や市場について勉強したい、もっと教えて欲しい、という声が多いです。情報開示やコミュニケーションの不足を痛感します。

特に、米中の地政学的な要因、コロナの経済的損失の少なさ、マザーズ市場の安定感、といった観点から、中国一辺倒から、日本のテックセクターへの投資を見直している投資家層がいます。

もっと海外の機関投資家に、日本のテックセクターやスタートアップのポテンシャルを伝え、もっと多くの資金を日本のベンチャーに投資をしてもらいたいし、もっと大きなスケールのベンチャーを生み出していきたいですね。

According to the Preqin’s report, ”Indeed, international investors have taken note of the potential value to be unlocked. Japan-focused PEVC assets under management have registered average annual growth of 12% since the end of 2010 — hitting a record high at the end of 2019. Despite COVID-19 headwinds, this trend looks set to continue with fundraising activity accelerating in H1 2020 and on track to top previous years”

a16zのマネージングパートナーのScott Kuporが、VCの構造について解説した本です。

Sand Hill Roadとは、Stanford大学からほど近い、北米の大手VCファームが軒を連ねる、シリコンバレーの大通りの名前です。VC(Venture Capital)は常にわかりにくい存在だと言われますが、その力学や構造について、丁寧に開設された本です。その最新版と言っていいでしょう。これからVCを学びたい人、基礎から網羅的にVCの構造を知りたい人にお勧めです。

GP(General Partner)とは何か、LP(Limited Partner)とは何か、といったVCファンドの構造、VCのリターン の仕組み、投資契約、取締役の構成や留意点等、基本的なことは全て抑えてあるのですが、今回は、自分が気になった数字の部分切り出してみました。

(USのVCが産み出してきた経済インパクト)

*2015年のスタンフォード大学とブリティッシュコロンビア大学の研究によると、1974年以降、USの全IPOの42%にVCが投資して関わっている(VC backedの企業)

*全てのUSの全R&D予算の85%は、これらのVC backedの企業による寄与となっている

*1974年以降の作り出された全株式価値の63%はこれらのVC backedの会社が作り出している

*2010年のKauffman Foundationの調査によると、1977年以降、2000–2500万人の雇用が創出されているが、それらのほとんどにVC backedの会社が関わっている

(GAFAの歴史)

*2000年のバブルの頃、Cisco社が1兆ドル企業になる1番目の会社、と言われていたが、当時Cisco社は5,550億ドル止まり。それから20年近い歳月を経て、2018年にAmazon社が初めての1兆ドル企業となった。2000年当時Amazon社は300億ドルの企業だった。

(VCのリターンについて)

*VC業界全体のリターンは、Power law curve、冪乗則(べきじょうそく)に沿って、リターンが分布する。つまり、ほんの一握りのトップVCにリターンの殆どが集中して分配される、ということである。これは、通常の投資でイメージする、確率変数をベースにした正規分布とは大きく結果が異なる。冪乗則に則る以上、VCファンドへの投資・出資は、多くのファンドに分散させるのではなく、一部の成功しているファンドのみへ投資へ投資するのが合理的となる。

*成功しているVCファンドのリターンの構成としては、50%が失敗、20–30%が数倍、10–20%が10倍以上のホームラン、という分布となる

*Yale大学基金の運用は、VCファンドへ積極的で有名であるが、過去20年間、年間平均77%のIRRを出し続けている

(最近のIPOの傾向について)

*かつては、平均7年で上場していたUSのスタートアップも、今は未公開期間を長くする傾向故に10年以上かかるようになった

*スタートアップの未公開でいる期間が長くなることで、上場後の投資のリターンの期待値は昔ほどではなくなっている。例えば、Microsoft社は、1986年に3億5000万ドルで上場した。現在は、8,000億ドル企業。24年で2,200倍になっている。一方、Facebookは、2014年に1,000億ドルで上場し、現在は4,000億ドル。6年で4倍。

(VCの取締役としての役割)

ここは非常に大事なところで、取締役の構成、社外取締役としてのVCの役割や振る舞いについて、詳しく章が割かれていいます。

以下、一文を挙げておきますが、ここは取締役としてのVCの振る舞いとして大事なところです。

”The board’s mechanism to “ run ” the company is to evaluate the CEO and coach , or ultimately fire , her if they don’t like the way the company is being run ; it is not to interfere with the CEO’s ability to manage her team directly nor to dictate a particular product strategy”

GMOペイメントゲートウェイの本日(2020年5月25日)の時価総額は9,168億円。その取締役副社長の村松さんの記事。

村松さんは私がジャフコに新卒で入社した時の同じ海外チームの先輩で、もう20年以上の付き合いになる人である。 大学の時に内定をもらった後、どこかの中華料理屋で初めて会って以来、尊敬の念を欠かしたことはない。

彼が決済関連の会社を起業して程なくにITバブルが弾けた。

”早い話が当社も固定費を3分の1にしなければならなくなった。前途洋々のビジョンを語って集めた社員を突然苦境に陥れることになった”

”「株主リターン」「上場」という言葉は棚上げした”

”10名足らずのメンバーで2年間耐える中、顧客の解約率が創業以来の低い数字になった。トンネルの出口が見えた。不況のどん底から売り上げが4倍になっていた。黒字化した瞬間は今でも忘れない”

いつ会っても快活な村松さんなので、苦境は知りながらも、外から事業の話を伺う程度であったが、10名で2年耐えて、自力で黒字化させた先に、20年後、1兆円に手が届く企業が生まれつつあることに、ベンチャー経営の奥の深さと希望が見えるような気がする。

と、あまり普段書かないラブレターを書いてみました。

https://www.nikkei.com/article/DGXKZO59400100R20C20A5XY0000/

Masahiko Honma 本間真彦

Founder and General Partner of Incubate Fund インキュベイトファンド 代表パートナー www.incubatefund.com 過去ブログは→ https://corepeople.typepad.jp/

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