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反省記―ビル・ゲイツとともに成功をつかんだ僕が、ビジネスの“地獄”で学んだこと-西和彦 を読んでの感想

アスキー社の創業者であり、マイクロソフト社の初期の取締役であった西和彦さんの手記。とにかく面白く、1980年代から2000年代に至るまでの、日本の産業の強さと衰退について考えさせられた。

今、Microsoft社、GAFAMの一角で、ビルゲイツ氏、ポールアレン氏に続く、現在US1,620Bドル(約170兆円)の会社のNo.3のポジションに就いていた日本人が、わずか40年前には存在したことが、今では想像すらできない。その後2000年から2014年までCEOを務めるスティーブバルマー氏より先である。

昭和の絶頂期から終盤、平成まで、日本のエレクトロニクス市場を駆け抜けた、第一人者の経験談は、改めて学びが多かった。

私はITバブルの1990年代後半から、ITのベンチャー投資のキャリアをスタートしていて、その頃はまだ、平成も前半戦。日本ブランドも強く、海外の出張に、SONYのカメラ付きのVAIOのノートPC(PCG-C1)を持っていけば、未来感ありすぎですげー、といった体で、シリコンバレーやイスラエルのスタートアップの起業家が羨ましがってくれた記憶があるし、まだまだノートPCはレッツノートだよね、という風潮だった。

当時の私の仕事は、シリコンバレーの投資のスタートアップ、主に半導体や通信機器、そしてビジネスソフトウェア企業を日本で事業展開するような仕事だった。当時はまだ、日本の市場は、海外の進出先としてはプライオリティが高く、NTTやKDDI、そして富士通、NECといった企業と繋ぐことで、非常に価値を感じてもらえた。しかし、当時は既に、共同で一緒に製品を作るパートナーというよりは、顧客や市場として日本企業の価値になっていたように思う。

しかし、西さんの手記を読むと、1980年、90年代は、もっと日本の大手メーカーは強かった。単にシリコンバレーのスタートアップの顧客としての日本企業ではなく、一緒に共同で製品としてのパソコンの仕様を設計していた。マイクロソフト社が作ったBASICを、20代前半の起業家である西さんが、錚々たる大手の日本のパソコンメーカーと交渉し、一緒にパソコンの設計をしていたのである。

1986年、西さんはMicrosoft社、そしてビルゲイツ氏と袂を別れる。当時の西さんは、まさに日本の高度経済成長の代表者でもある、ソニーの盛田さんや京セラの稲盛さん、そして中山素平さんとも親交があり、その薫陶を受けている。日本発世界のモノ作りのベンチャーの創業者がまだバリバリの現役だった時代。

ビルゲイツ氏との別れの原因の一つは、西さんが理想のパソコンを作るために、半導体を自身で作りたい、といったこともあったようだ。

今のスタートアップ、ベンチャー投資の現状を比較すると、当時、良いパソコンを作るために、半導体から作ろう、という発想を持っていた西さんの構想力、そしてそれをサポートした大手日本企業があった、ということが、35年後の今かなり想像しにくい。

35年前と言わずとも、1990年代後半、20年前に自分がベンチャー投資家のキャリアをスタートしたころには、スタートアップで、ソニーの盛田さんの薫陶を直接受けるような機会は少なく、大手メーカーが20代の起業家と一緒に、シリコンバレーの起業家と一緒に、製品を作る、ような雰囲気は失われていたように思う。その頃の日本の大手企業は既に、共同の開発パートナーというより、シリコンバレーのスタートアップの単なる顧客だった。

1985年から2000年くらいの間に、高度経済成長を引っ張ってきた、大手メーカーの創業社長たちの世代交代があり、プラザ合意があり、バブルが弾け、何か、日本の大手企業に何か変化が起きたのだろうと思う。

ビルゲイツ氏と袂を分かれた後の西さん、そしてアスキー社は、その後の日本の高度成長からバブル期、そして衰退を、象徴するかのようである。

マイクロソフト社の着実な事業の隆盛とは対照的に、その後15年かけて多角化して急拡大。上場まで漕ぎ着けたものの、出版に加えて、半導体や衛生通信を手がけたが、事業や一方会社のコアを作ることができずに、最終的に1997年にCSK社に吸収される。

今、私は日本から次世代のソニー、ホンダを作りたい、と思って、ベンチャー投資家としてここ20年やっているが、2000年以降、自分も直接経験しているインターネット時代と、その前の、西さんが活躍して、アスキー社がMicrosoft社に差をつけられた、そして日本の大手企業が強く、そして羨ましがられた、1985年から2000年までの15年の違い、ここを強く感じざるを得ない。

完全に整理はできないが、西さんの当時の構想力、そしてアスキー・マイクロソフトというベンチャー企業に、賛同した当時の日本の大手メーカーの協力体制。それは今は想像しにくいのは事実で、当時は日本の大手メーカーも今と違った勢いがあったのだろうし、戦後を率いた強い創業社長が健在だった時代だと思うし、それをこれから令和でどう巻き直せるのか、そんなことを考える週末になっています。

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Masahiko Homma

Founder and General Partner of Incubate Fund インキュベイトファンド 代表パートナー www.incubatefund.com 過去ブログは→ https://corepeople.typepad.jp/